私のプロポリスのサイトに来ていただいたのも何かの縁ですので、シンプロポリスがつくられているブラジルで話されているポルトガル語についてお話をさせていただきます。
中南米では、ポルトガル語はブラジルだけで、ほかの国はスペイン語が使われていますが、その違いは、博多弁と難波弁の違いと言いますか、お互いの言葉で話ができます。
ポルトガルはヨーロッパの西の果てにあり、最初に大航海に乗り出した国です。インド航路を発見したヴァスコダガマもしかりです。
2006年のワールドカップ、ポルトガルは惜しかったですね。ブラジルが負けた相手のフランスに対して、リベンジでフランスを破って欲しかったのですが、皮肉にもジダンが活躍してくれました。前半ポルトガルにペナルティがありジダンのPKで前半に1点をとられ、結局1−0でフランスに逃げ切られて負けました。
店主の私は学生時代にポルトガル語を勉強しました。1年間ポルトガルのリスボン大学に通ったことがありました。
卒業後は日本企業の出向でブラジルで5年間仕事をしました。プロポリスもその時に得た友人達からの情報で常にブラジルの良いプロポリスを紹介してもらっています。
ブラジルにはいろいろとお世話になったので、私が住む福岡でも10年ほど前に「福岡ブラジルクラブ」という福岡県の国際ボランティア団体「福岡ブラジルクラブ」を発足させました。
また、「シンプロポリス」では、ブラジルのサンパウロに住み、私にいろいろなプロポリスの製品と情報を送ってくれる友人のトシキさんを初め、印刷会社「TOPAN PRESS」の奥山社長にも「シンプロポリス」の箱とラベル作りをしていただいています。
私が25歳の時に初めてブラジルに行った時のことです。ばりばりのポルトガル本国で学んだ格調高いポルトガル語とは違い、奥山さんの話されるブラジル語は出身地の山形弁で話す発音でびっくりしました。
いや、こんなポルトガル語があるのかと、大きなショックを受けました。
しかし、ブラジル人とのコミュニケーションは、私のうわべだけのポルトガル語と
違い、深く伝達されるのです。奥山さんには仕事、ゴルフを通じいろいろとお世話になり、勉強させられました。それ以来、私のポルトガル語は、私が生まれ育った博多弁のポルトガル語を話さないかんと痛切に感じました。
学生時代に、英語検定1級をとった私の友人である同郷の友達もアメリカ滞在が長く、同じことを言ったことがありました。「河村くさ・・・英語は博多弁で話した時が一番心が通じると分かったやね・・・」
さてさて、横道にそれましたが、16世紀に九州の種子島に鉄砲が伝来し、イエズス会の宣教師フランシスコザビエルを筆頭に、ポルトガル人の神父が九州にキリスト教を布教し、秀吉によるキリスタン禁制が敷かれ、それを作家、遠藤 周作が隠れクリスチャンの文学として書いた「沈黙」はあまりにも有名です。
当時は、日本語に2,000語もポルトガル語が使われていたそうです。
思い出す範囲で書いてみました。
例えば vidro(ヴィードロ) ガラス chabao(シャボン)石鹸 lanterna(ランテルナ)ランタン jorro(ジョロ)水差し botao(ボタン)ボタン capa(カッパ)雨カッパ manto(マント)外套 banco(バンコ)縁台 bolo(ボロ)お菓子 tempero(テンペロ)てんぷら confeito(コンフェイト)金平糖 まだまだ、tanto(タント)たんと(たくさんの意味) あります。
博多の私の大好物の鶏の水炊きもポルトガルがルーツです。canja(カンジャ)と言います。
患者さんに食べさせる料理です。これは、シャレではありませんが、滋養に良い料理といった
ら良いでしょう。韓国ならサンゲタンがありますよね。
ポルトガルのアレシャンドラの家で作ってあげた時に、ポルトガル人達が口を揃えて、これは
「私達ポルトガル人の料理だよ。」と言われた時は、驚きました。オ・パー(驚いた時のポルトガル語の感嘆句で釣りの名人作家、開高 健 の「オー・パー」の本がありますね。)
それから「ピンからキリまで」もポルトガル語なんです。 ピンはpinta(点) キリはCristo(キリスト)で、1から十までの意味。十はキリストの十字架です。 |