|
|
◆◆━━ ■シンプロポリス通信■━━━━━━━━━━◆◆
2008年7月17日
第16回
件名 「ブラジル移民100周年 レポートNO2」
◆◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◆
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
このメールは、シンプロポリスとご縁のある方にのみ
配信されています。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
Boa tarde ! ボア タルジ こんにちは
ブラジルのポルトガル語が、宗主国ポルトガルより
使用人口が多いので、ポルトガル語の基準語と
決まったそうです
それは どちらでも いいことですが
それぞれの国の文化と言葉を大切にしたいと
思っています
博多に住む 博多弁で話すポルトガル語を愛す
ブラジル産シンプロポリスの
しんちゃんこと河村 伸一郎です
7月は、シンプロポリスお買い上げの方全員に
クオカードをプレゼントしています
------------------------------------------------------
前回に続きブラジルメーカー平尾社長の
ブラジルレポートを掲載します。
日本移民百周年(その1の後半)
ようやく落ち着き始めた日本人社会に再び暗雲が
漂ってきた。
1941年12月第二次世界大戦が勃発、
ブラジルに居る日本人は敵国民と見なされ、
日本語学校は閉鎖され、日本語新聞は廃刊にされて
、
日本語の書物を持っていることも日本語を話すことも
日本人の集会も禁じられた。
出来上がったばかりの日本病院は接収された。
この法規に違反した理由により多くの日本人が逮捕され
牢獄された。
日本の情報がまったく届かなくなり、戦況がどうなって
いるのか判らないまま年月が過ぎ不安は募るばかりであった。
そこに1945年8月「戦争が終わり、日本は負けた」という
情報がブラジル語の新聞、ラジオで報道された。
ここで「日本は負けたのだ」という良識派と、
「日本が負ける筈がない。勝ったのだ。」という戦勝派の2派、
すなわち勝ち組と負け組の真っ二つに割れて、勝ち組が負け組
を襲撃して射殺するという悲しい事件が頻発した。
日本は8月15日の終戦を期して黎明、新しい夜明けが始まった
が、ブラジルの日系社会はこの日から日本人同士の醜い戦い
が始まった。
カチ・マケ事件は100件を超え、殺害犠牲者は23名。
そして日系コロニアの悲しい汚点として永久に残ることになった。
どちらが悪かったのでもない・・どちらも戦争の犠牲者だった
・・・・と私は思います。
ーーー 日本移民の悲話は今回までとし
次回の17回目には、平尾社長のブラジル移民100周年
その2を掲載し
ブラジルサンバの主役 ムラッタ(黒人と白人の混血)
を紹介します。
ご期待ください !!!
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
編集後記:
毎日暑いですが、日本は四季があるので
嬉しいです。
日本の夏は冷房病にかからないために注意!
今朝のテレビで言っていましたが、
室内温度は28度が良く、外気より下げても5度までだそうです。
エアコンと同時に扇風機をまわすと電気代の節約にも
なるようです。
でも、エアコンは必要に応じてつけましょう。
========================
★毎朝飲むプロポリスの一滴があたらしい幸せ★
https://www.e-propolis.com
店主:河村伸一郎
========================
メルマガのご感想をお待ちしております
では、次回もお楽しみに☆
最後までお読みいただきありがとうございました。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
これまで発行したメルマガ紹介
16回目 15回目
14回目 13回目 12回目 11回目 10回目 9回目 8回目 7回目 6回目
|