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シンプロポリスTOP/シンプロポリス通信15回
◆◆━━ ■シンプロポリス通信■━━━━━━━━━━◆◆
2008年7月14日
第15回
件名 「ブラジル移民100周年 レポート」
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このメールは、シンプロポリスとご縁のある方にのみ
配信されています。
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Boa tarde ! こんにちは ブラジルはポルトガル語
昨日 詩吟テイチクレコード杯でデビューを狙い
出場しましたが、入賞もできずがっかりしている
「シンプロポリス」ノビアの「しんちゃん」
河村 伸一郎です
リニューアルした 新しいサイトが字が小さい
とのご指摘があり、大きくしました
私自身も読みやすくなり 歳をとるとは
このことかと自覚してまいりました
率直なご感想ありがとうございました
7月も中旬になりました
7月にお買い上げの方全員にクオカードを
プレゼントしています
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前回は、フィレンチェに住む友人のイタリアレポートでした
写真がとても綺麗だったとお褒めのことばを頂戴
しました
さて、今回は、シンプロポリスの
ブラジルメーカー平尾社長から
日本移民100周年と題して ブラジルレポート
と写真が届いていますので 以下報告します。
日本移民百周年(その1)
1908年6月18日、移民船「笠戸丸」は日本からの
第一回移民781名を乗せてサントス港に接岸しました。
ブラジル移民の歴史はここから始まります。
彼らの殆どは日本での歯の浮くような宣伝文句
(数年後大金を貯めて故郷に錦を飾れる)
に惑わされて出稼ぎのつもりで見知らぬ異国へやって
きたが事実はそんな甘いものではなかった。
受け入れるブラジル側では奴隷解放後の労働力不足を
補うためだったので、移民は単なる「労働力」で奴隷に
毛が生えた程度の待遇で使おうとした。
粗末な小屋に住んで低賃金で酷使され、家族全員で働いても
借金が増えていく仕組みになっていた。
炎天下での重労働、貧しいブラジルの食事
(外米にフェジョンという豆をかけて食べる)
貧困、苦悩の末夜逃げを決心する者が次々と現れた。
それは生死をかけた移民の逃避行であった。
次第に日本人が集まりいわゆるコロニー(日系社会)を
造成していくが、ここでも水の便を考えて川のそばに
住居を建てたコロニーではマラリアの発生に悩まされる。
一家の大黒柱が病気で倒れるとその家族は悲惨な結末を
迎えることもあった。
しかし、日本人同士助け合い、励ましあって何とか自立
できるようになると、何処の集落でも日本語学校を作って
子供の教育に力を入れた。
学校を中心として運動会、野球、相撲、演芸会、
新年祝賀会、天長節などで集まっては日本を偲び、
日本人としての団結を強めていった。
ーーー今回は この辺で 続きは 次回の16回目を
お楽しみにしてください !!!
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編集後記:
NHKのドラマでブラジル日本移民を描いた
「ハルとナツ」は よかったです
ブラジル関係者の方は、実にこの通りであったと
このドラマを褒められます
出演者も森光子さんをはじめ
「ごくせん」の仲間由紀恵さんは
私がすきな女優です
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★毎朝飲むプロポリスの一滴があたらしい幸せ★
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